亡くなった父はいったい今どこにいるんだろう。
天国で穏やかに楽しく過ごしているのだといいな。いや、そもそも天国って本当にあるのかな。人は亡くなれば無の存在になってしまうのかな。
でももしも肉体は消えても魂だけは残っていてその霊魂と会話ができるのだとしたら、
父の臨終に間に合わなかった私は父に話したいこと、どうしても聞いてみたいことがあった。
どこかに父に会わせてくれる霊能者がいるなら観てもらいたいとずっと探していたのだが「英国式ミディアムシップ」という、亡くなった人と対話ができるスピリチュアルカウンセリングがあることを知った。
そしてあるカウンセラーのホームページに辿り着き、そこに書かれていた文章にピンときて、コンタクトを取ってみたら予約が取れた。
昨年、11月中旬のこと。
場所は東京。
コロナ感染者数が爆発的に増える少し前の東京とはいえ、気ままにウロウロする気持ちにはなれなかった時期。
目的だけ済ませたらあとは展覧会をひとつ見るのみ。
友人とも会わない一泊だけの旅にした。
英国式ミディアムシップは、来ているスピリット(亡くなった人)が、依頼人の肉親や恋人、親友であるというエビデンス(人物確認)を必ずとってから対話を行い、亡くなった人に関する情報を事前にうかがうことは一切しないという。
だからこそ信頼できると思ったし、もしも本当に私しか知り得ない父の情報が提示されたら、話したいことをまとめておいた小さなメモ帳を開く用意をしていた。
カウンセリングの場所は再開発が進む渋谷駅東口から歩いて10分ほどの場所にある、高級マンションの一室。
出迎えてくれたカウンセラーの先生(男性)は、営業的スマイルもお愛想の言葉もなく、無表情というほど無愛想ではないけど人を包み込む輝く慈愛に満ちたオーラを持つ感じでもなかった。
例えるならちょっと宇宙人的な…?
とにかく今まで会ったことがない不思議なタイプの人だなぁと感じた。
通されたワンルームの部屋はテーブルと向かい合わせにセットされた椅子が2脚、ガラス戸がついた白いキャビネットの上に天使たちのオブジェが置かれていた。
手を洗って椅子に付き、いくつか『英国式ミディアムシップ』の流れについて説明を受けた後、さっそく天空から私のスピリットガイドを呼んでくれることになった。
人にはスピリットガイド(指導霊)と言われる人がひとり付いてくれていてそのスピリットガイドさんが、私が会いたい故人を探して連れてきてくれるという。
先生は私の右肩の少し上を見ながら無言でスピリットガイドと会話をし始めた。
ずっとおとなしくそれを見ていること約3分。
先生が私の目を見て口を開いた。
「はい、今来てる人について説明しますね。違ったら違うと言ってください。」
いよいよだ。手に汗を握った。
「すらっとした細身の男性が来ています。」
その人は30代前半で病気で亡くなった人で「学生時代にあなたと共に学んだ仲間だった」と言っていると。
え。私、全く心あたりがない…。男性ということは大学時代の同級生か?(高校は女子校だったから)
大学時代、ゼミが一緒だった男の子たちかな。でも自分の知る限り、亡くなった人はいない。
そう伝えると「あなたに会いたくて来ちゃったのかな」と言う。
ひゃー。だれ?ますます怖いんですけど…
もしも本当に天国というものがあり、霊魂として父が存在するなら、当然私に会いたくて降りて来てくれると思っていたので、予想外の展開に戸惑った。
会いに来てくれている彼について先生はしばらくガイドさんと会話をしながら「何かスポーツをやっていたのか走っている姿が浮かんでくる」とか、「胃が弱かったようだ」とか、特徴を知らせてくれようと頑張っていたが、
どうもコンタクトが取りづらい状況でスピリットガイドが何を言っているかわかりづらいと言い出した。
私は父に会いたくて来たしカウンセリングの時間は限られていたので「会いたい人とは違います」とはっきり言った。
先生は「そうですか。じゃあ彼には帰ってもらいますね。」
え 帰しちゃうの?ごめんなさい、誰だか分からない人…
トボトボと雲の向こうに消えてゆくすらっとした男性の姿を想像しながら謝った。
次に出てきてくれたのは「2人のおばあさん」だった。
「私の祖母が2人揃って会いに来てくれたのかな」とドキドキした。もしおばあちゃん達ならそれでもいいや、話したい!と思った。
しかし先生が話し出した特徴を聞いてその望みもすぐ絶たれた。
「おふたりとも小柄でお顔が小さいですね…」
え!違うわ。
だって私のおばあちゃんは1人は165センチ越えという大正生まれにしては大柄女で、もう1人はかなりふくよかで顔も大きかったから。
「だれやねん。おばあさんが2人も揃って」と
私には見えもしない2人の可愛いお婆さんの姿を想像したら、不謹慎にも可笑しくなってきてしまった。
「先生、また違います、私の会いたい人ではないです。」と言うと
とても困った顔をして「今日は来てくれないみたいですね。あなたの今日のコンディションは悪くはないみたいなんだけど、モヤがかかったり映像が乱れてガイドとうまくコンタクトが取れないんです。こういう日はやめた方がいいです。」と言われてしまった。
そうだよね、お父さんはそんな繊細な人じゃなかったもんね、私の呼びかけなんて聞こえてないかもしれないなぁと残念に思いながら
カウンセリング終了なのでお金を支払おうとした。
すると「今日はご希望の方が見えなかったのでお代をいただくわけには行きません。」と仰る。
高額な料金だったのだが、それだけ自信を持って仕事をしている先生なんだろうなと新札をお気に入りの《嵩山堂はし本》のぽち袋にお金を用意していたし、貴重な時間を私のために割いてくれたのだから、お支払いするのが筋かなと思った。
だけど先生は頑なにお金を取らなかった。
またいつかタイミングが合えば観てもらおうとぽち袋を引っ込めた。
先生が言うには、依頼人が急いで来たりたくさんの人がいる場所に寄ってきたりした場合、波動が乱れてリーディングしづらい場合があるそうだ。
私は朝イチの飛行機に乗って銀座のホテルにチェックインしてから渋谷のサロンにきたのだが、知らぬ間に心拍数が上がって非日常の精神状態にあったのかもしれない。
次回があるとしたら、東京に一泊したあと、できるだけ気持ちを鎮めて向かいたいと思っている。
リーディング中の私と先生の会話をiPhoneで録音するのをお勧めされていた(あとから聞き直してあの人だったのか!と気付くことが多いのだそう)ので、札幌に帰ってから母に聞いてもらった。
母に「〈2人のおばあさん〉はもしかしたら貴女のひいおばあちゃんかもしれないよ」と言われた。
遥か彼方の記憶を辿れば、私が会ったことのあるひいおばあちゃんの1人はちっちゃくてかわいいおばあさんだった。
今となっては先生に詳しく確認はすることはできないが、天国から久しぶりにひ孫に会いたくて降りて来てくれていたのだとしたら、申し訳ないことをしてしまった。
話したかった父には会えなかったし
やっぱり亡くなったらそれまでなんだなぁと寂しい気持ちで渋谷から馬喰町に向かった。
前から行ってみたかった「puukuu食堂」で飲みながら夕飯をとることにした。
puukuu食堂はミナペルホネン が経営するレストラン。
店内には皆川さんが描いた絵やメッセージがあって心和む温かい雰囲気だった。
静かで暗めの照明はムードがあり、すぐにお店に馴染んでビールが非常に美味しく感じられた。
おっぱいコロッケと命名。
あ、いや、ちゃんとお洒落な名前がついている。
お豆ぎっしりのコロッケにソースは八丁味噌という、アラブと和の融合といった味でとても美味しかった。
添えられたサラダのドレッシングにクミンと塩昆布が和えてあったのも気に入って、帰ってすぐに真似した。
旅先で味わったものがヒントになって食卓に新しいメニューが並ぶことが良くある。
帰り道はホテルまでひとつ先の駅で降りて銀ブラ。
外国人観光客がいないこんなガランと空いた銀座を見たのは初めてだ。
銀座six入り口のクリスマスの飾りが楽しくて寂しい心が華やいだ。
ついさっきまで死の世界と現世界の交わる不思議なフワフワとした空間にいたのが、急にクリアになった。
やっぱり生きてるのを楽しまなくては!とハッとさせられた瞬間だった。