先日、クロエ・ジャオ監督作品「ノマドランド」を観てきた。
Nomadとは《遊牧民》の意味であるとともに、アメリカでは《定住地を持たず季節労働の職を転々としながら生活する者》を指すという。
この映画はそんなノマドたちの日々をドキュメンタリータッチで描いた作品だ。
61歳のファーン(フランシス・マクドーマンド)は夫に先立たれ、住んでいたネバダ州エンパイアの炭鉱町も、郵便番号もろとも消滅してしまう。
ファーンは夫との思い出が詰まった家を売り、愛用の白いRV車に家財道具を積み、町を捨て、車上生活者となる。
アメリカではリーマンショック以降、職を失って、働きながら車中泊をしてアメリカ中を漂流する人が少なくないという。
日本にもノマド的な生き方を選択し、パソコンひとつを持って住む地を転々としながら仕事をする人はいる。
若ければそれも可能だろうと思う。
しかしこの映画のノマドたちは高齢者がほとんどだ。
彼らはアメリカ各地にあるAmazonの深夜の配送センター、観光地近くのカフェの配膳係、農作物の収穫、トレーラーパークのトイレ掃除などさまざまな仕事に就き、お金を作りながら夜は車の中で眠りにつく。
このような肉体労働で金を稼ぎながら自ら大きな車を運転して流浪の旅を続けることは、実際には中々大変なことだろうと思う。当然、社会からも孤立する。
自分が彼らと同じくらいの年になったとき、果たしてそれをしたいと思うだろうか?
老後の身の振り方について真剣に考えてしまった。
しかし一方で、ファーンの目を通して見たアメリカ各地の大自然の風景の圧倒的な迫力と荘厳さ、とりわけ夕日が沈む時の美しさには感動を覚えた。
RTR(RubberTrump Rendezvous)という、実在するノマドたちのコミュニティが登場し、パチパチ燃える焚き火を囲んでノマドたちが静かに語り合う地味なシーンがあった。
その中で、癌で余命幾ばくもないある高齢の女性が「ツバメの群れが湖の上を飛ぶ光景がいかに素晴らしかったか」を語ったシーンがとても良くてなぜか涙が出た。
皺だらけの透き通るように白い肌の中に埋まった小さな目がとても澄んでいて、その目にネイティブ・アメリカンのような尊さを感じたからだ。
誇りを持って流浪生活を選んだノマドたち。
誰にも邪魔されない自由があり、大地とともに暮らしている実感と自分の身を守る強い覚悟を持ちながら生きているのだろう。
だけどファーンもその他のノマドたちも、この先どうなっていくのかな。
動物とは違うからまさか最期は土とともに朽ち果てるわけにもいかないし。
ノマドたちは、自分の死に場所を探す旅をしているのかもしれないと思った。
ファーン役のフランシス・マクドーマンド。
どこかで見た顔だなぁと思いながら見ていて途中で思い出した。
「スリービルボード」でめっちゃ強い肝っ玉母ちゃんを演じたあの人だ。
今回もまた男勝りな性格でかっこよかった。
バケツの中に排泄したり、全裸で湖に浮いたり、ノマド生活をリアルに見せるシーンもあって。
だけど、白い素朴な木綿のワンピースを着て裸足で風に吹かれていたり、編み物をするなど少女のようにかわいらしい一面もあって、好きに生きてる感じがとても魅力的だった。