初台のオペラシティギャラリーを出る時、以前から贔屓にしているヴィンテージショップ《緑園》さんが浅草から移転してリニューアルオープンしているのを思い出した。ギャラリーからは徒歩圏内。地図アプリを片手にのどかな商店街をぷらぷらと歩き、珍しく迷わずにお店に到着した。
何かの倉庫だったと思われるスペースは、浅草のお店の4倍くらいの広さで驚いた。そこには、長い間大切にされてきたと思われる貴重なヴィンテージの宝物がぎっしり。
一気にアドレナリンが湧いてくるのが分かった。
オランダのゲームカードや細々とした紙類、それに生地やリボンなど材料にするものをいくつかと、小さな赤ちゃん人形を購入した。
この子、頭のてっぺんからつま先までネル素材のロンパースに包まれていて、ぬくぬくと幸せそうなのに、おでこが汚れている上にずいぶんと物憂げな表情をしている。
そのギャップにやられ、この子の母になることを決めた。
初台からは、20分間、ゆらゆらとバスに揺られ昔住んでいた中野まで行ってみた。
この道は、小さかった息子(いや、他の赤ちゃんより大きめだったが)をパープルのベビーカーに乗せ、毎日行ったり来たりした懐かしい道。
中野には現役で使われている築50年近くかそれ以上古いマンションが多く、いわゆるヴィンテージマンションとして人気があるらしい。
私が住んでいた頃にもあったこのマンション、北欧のテキスタイルにあるようなブルーのお花と白のコントラストがおしゃれだ。
このマンションの中にある歯医者さんに通っていたのだけど、中東風のこの壁が当時からお気に入りだった。
《お茶のおおはし》さん。
結婚したての頃、緑茶が欲しくて訪ねた近所のお店だが、当時は街の商店街によくある「昔ながらの普通のお茶屋さん」だった。
なのに二代目が継いだ今、パリの街に佇んでいてもおかしくないようなお店に変身していたのだ!
二代目が「どうぞ中も写真撮って宣伝してください」って微笑んでくれたのだけど、外観だけでも充分ステキ。
そしてほら、パッケージがこれだもの。
今こそ自宅のそばにあったなら、お茶が切れるたびに通えたのに。
中野からは地下鉄に乗り、宿泊地・銀座へ。
和田誠さんもそうだけど、尊敬するグラフィックデザイナーとして、つい最近亡くなった中條正義さんがいる。「松屋銀座」のロゴデザインは、中條さんが手がけた作品だ。
私の泊まるホテルが今回松屋の裏にあったのも、何かの縁だろう。
さぁ、ひとりの夕ごはんはどうしようか。
少し寒かったし燗酒と東京らしい和食でゆっくりしたかったので、札幌にいるグルメ救急隊員(夫)にLINEでおすすめの居酒屋を聞いてみた。
隊員はさっそく銀座にある焼き鳥屋と、神田の居酒屋《みますや》の2軒を教えてくれた。
今回は明治38年から暖簾を掲げている老舗《みますや》にしてみた。
外には数組が待たされていたが、予想通り、ひとりの私はすんなり中に案内された。
「どぜう」の文字に心が躍る。
大きなテーブルに相席で落ち着いた私は、かけつけに生ビールを一杯。今日は15,000歩も歩いたので、夏でもないのに冷たいビールが心地よく胃に落ちていった。
今宵のチョイスは ぬた、こはだの酢〆、茄子の煮浸し、牛煮込み、おにぎり。熱燗2合。
美味しいこれらをゆっくり堪能していると、ふと同じテーブルについている人たちの会話が耳に入ってきた。
就活を始めようとしていると思しき大学生男子二人組。「《任天堂》や《大正製薬》いいよね?」「でも関西には住みたくないよなぁ」などと言っている。
その2社といえば、どちらも超一流企業だ。同じく超一流大学でなければおいそれとはチャレンジできない会社だが、チラリ見やると、二人とも坊ちゃんぽい清潔な装いでキリッと賢そうな顔立ちをしている。
しかし、転勤当たり前の一流企業マンが関西を毛嫌いするとは気に入らぬ。
息子とそう変わらない年頃の男の子たちに向かって思わず「ちょっとさ、あんたたち。関西、住んでごらんよ。焼肉は安いし最高だよ!」と言ってしまいそうになった。
もっと酔っていたらそんな図々しいことをしたかもしれない。でもそうしたら、この坊ちゃんたちはサーッと引いていったに違いない。
あー言わなくてよかった。