風に乗って空を泳ごう

世界にひとつの布小物を制作する嘘とミシン。日々感じたことや体験したことを気ままに綴ります。

海を渡る蝶々

 

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ここはときどき作品の写真撮影をするために訪れる

自然あふれる知事公館の森の入り口。

ここに小さな美術館『三岸好太郎美術館』がある。

先日、ここで開催されている企画展『三岸好太郎・節子展』を観に出かけてきた。

 

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私が三岸好太郎の絵画と初めて出会ったのは、高校時代。美術の課外授業でここを訪れたのが最初だ。

女子高生だった私は、淡く儚げな色づかいや、特に貝殻や蝶々を多くモチーフとして選んでいるところが気に入ったのだが、それは今でも変わらず。

やっぱり好きだなぁと感じる作品が並んでいた。

 

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この絵は、館内で一枚だけ撮影が許されていたもので

『のんびり貝』というタイトルがついている。(タイトルどうなのよ?と思ったけど)

 

当時「のんびり貝」は、有名化粧品会社の社長に高く売れ(資生堂かな?と推測)、その売上金で節子さんとふたりで旅行をしたそうだ。

長く胃潰瘍を患っていた好太郎は、なんとこの「貝殻旅行」のすぐ後に吐血して、31歳という若さで帰らぬ人となった。

そのエピソードを知って、芸術家とは何ともドラマチックな生き方をするものだと感じたし、遺された絵画に宿る寂しさや儚さを、より際立たせるものとなった。

彼がもっと長く生きていたら、どんな絵に変化しただろうか、見てみたかった気もする。

 

が、その後、やってくれたのが妻の節子さんだ。

2階に展示されていた節子さんの作品は、好太郎亡き後に描かれたものが多かったのだが、どの作品もパワフルでモダンで生き生きとしていたのに驚いた。

彼女も画家だったのに、きっと好太郎が生きていた頃は3人の子の面倒と姑との暮らしに忙殺され、また芸術家肌の夫にかなり苦労させられ、よっぽど大変だったのだろう。

好太郎が亡くなって3ヶ月後に完成した東京・中野鷺宮のアトリエや、留学先のフランスで描いた作品は、どれも色鮮やかで、彼女の心の開放を感じさせるものばかりだった。

(情熱的な恋もしたらしい)

キャンバスのほとんどを使って大胆に塗られた海のエメラルドグリーン、それに山吹色やパープルを合わせたりするセンスに、たくましい生命力を感じて、楽しい気分になった。

 

 

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でもやっぱり作品は好太郎さんの方が好きだな。

お土産品のコーナーにあったポストカードセット。

私のお気に入りの貝殻シリーズの素描画が入っていたので、額に入れて飾りたいなと思って購入した。

 

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ひとつだけ青い蝶々が入ったクッキー。

これは展覧会に合わせて用意されたお菓子なのだが、とってもかわいくて、これも自分用に。

 

海をひらひらと渡る、ピンクやブルーグレーの蝶々たちのポストカードとともに。